対談 坂 清子 様×天野 浩 教授

青色LED基金の寄附者である坂清子様をお招きし、天野浩教授と対談を行いました。
ご寄附いただいた経緯や、日米での起業経験、寄附文化の違いなどについて、お話をお伺いしました。

ばん きよ

東海歯科医療専門学校を卒業後、歯科用陶材の開発をスタート。1986年に研究開発会社カスプデンタルサプライを創立、同年、ノリタケ株式会社の技術顧問に就任。ニューヨークとボストンにカスプデンタルリサーチを設立したのち、名古屋にカナレテクニカルセンターを設立。1998年にはノリタケ株式会社との共同出資で設立されたノリタケデンタルサプライ(現 クラレノリタケデンタル)代表取締役社長に就任。現在はクラレノリタケデンタル株式会社の顧問。

ご寄附いただいた経緯は?

坂:私が30歳のときに、名古屋大学の聴講生になったことがあります。工学部の聴講生で、1科目だけの100分授業でした。授業に1回出たのですが、その科目が応用物理の分野で、もう内容が全くわからなくて、授業が終わってからすぐ先生のところへ行きました。100分の授業に出るのはもったいないので、私にわかる人を紹介してください、と言いました。1回出ただけですよ (笑)。そのとき私は歯科の専門学校の学生だったのですが、その先生は、関係がありそうな先生方 6、7人に声をかけてくださいました。

その中の一人の先生が、名古屋市の工業研究所に在籍しテレビのカラーセンサーを開発した先生で、その方がよいのではないか、ということで、紹介状を書いてくださいました。私はそれを持ってその先生のところへ行って、少し指導を受けることになったのですが、結局私は歯科の分野だったので、方向性が少し異なりました。しかし、スタート時に名古屋市の工業研究所を紹介してもらったのをきっかけに、わからないことがあると頻繁に通うようになりました。

天野:すごいですね。

坂:それから、32歳か33歳の頃から研究を始めました。研究した成果を歯科学会で発表し、その後原稿を書くのですが、私はいつもタイミングが良くて、そのテーマで困っている人が沢山いて凄く反響がありました。

例えば、学生時代にアメリカに行ったときに、当時、日本ではノンプレシャス(※1)を使って審美歯冠を製作すると、色々なトラブルが発生していたのに、アメリカではノンプレシャスを使って審美歯冠を問題なく製作していました。この差は何だろう?と思って、帰って来てから比較試験、分析などを重ねて、その違いを学会で発表しました。そうしたら出版社から、その原稿を書いてほしい、と言われたのですが、私、国文科の専攻だったのでそういう原稿を書いたことがなかったんです。でも、多くの先輩方の論文などを参考にして、原稿を書いて発表しました。

天野:そうなんですか?理系ではないのですか?

坂:国文科の卒業です。
そして、酸化膜の分析に関する原稿を書いて発表したら、ノンプレシャスメタルがすごく売れて、そのメタルを売っている会社に凄く感謝されました。その後、その本を読まれた臨床家の方々から私に直接電話がかかってくるようになって、問題点の原因やその解決法など沢山の質問を受けるようになりました。そういった経緯で研究や開発へと繋がりました。

天野:すごいですね。

坂:結局名古屋大学の先生は私がどうなったかも知らないと思いますが、きっかけを下さったのはその先生なので、なんとなく個人的に恩義を感じていました。それから30年余りで、製品開発、販売などいろいろな過程を経て、事業的にも安定してきましたので、何かお役に立ちたいなと思って、私の方から、寄附します、と名古屋大学に電話しました。

また、アメリカのボストンで、学生時代から起業し成功する多くの若者も見てきたので、日本からも若者がチャレンジして世界に羽ばたいて欲しいという願望もあり、少しでもお力になれればと思いました。

天野:ありがとうございます。

思ったらすぐに実行したいというのは同じ!?

天野:専門学校の学生だった時に、大学の講義を受けたいというのは、その関係の講義があったからですか?

坂:歯の色はすごく重要なのですが、その頃、歯の色をしっかり測定する方法がありませんでした。半透明で乳白色というか、それも何層も重なっている色というのは、正確に測定する方法がありません。

天野:それでカラーセンサー、そこに繋がるわけですね。

坂:そうです。
歯科で色彩測定器を使って測るのですが、そのデータをもとに歯の色を作ると、緑みたいな黄緑みたいな色になります。この測定器ではだめだなと思って、名古屋大学だったらそういう測定器などがわかる人がいるのかなと思って行きました。そして聞いてみたら、それは応用物理の分野で、ある教授からは「君、色がわかったらノーベル賞が取れるよ」と言われました (笑)。

天野:当時はそうだったかもしれませんね。カラーセンサーは今はもう原理はわかっているので作ったこともありますが、それほど精度は出ないかもしれませんね。

坂:歯の色はすごく微妙で、今でも正確に測れる測定器はありません。いろいろなメーカーが測定器を出していますが、残念ながら人間の目に勝る測定器はないのです。しかし人間の目は、年齢、照明、時間、背景など様々な影響を受けて、その都度見え方が微妙に異なってくるという問題点があります。

天野:そこからスタートしたのですね。知りたいとなったら、トコトンつき進めていく。小さい頃からそういうタイプですか?

坂:割りとそういうタイプですね。勉強心があるというわけではないですが、とにかく思ったらやり切りたいタイプです。

天野:それが大事ですよね。
今のお話を聞いて、学生の頃はそういえばそうだったなと、若かった頃を思い出しました。当時、大学というか名古屋大学がすごく貧乏だったので、装置が全く買えませんでした。そのため卒業研究を始めてからは、全部自分で組み立てました。そうすると、早く実験がしたいから、夜を徹してやりたくなるんですよね。組み立てていろいろ実験するのですが、やっていると、ここを変えなきゃいけない、とか思ったりして。石英管というのを使っていたのですが、それを業者に頼むと1週間ぐらいかかるんですよ。

坂:わかります。それが嫌なのですよね?

天野:それが嫌なので、自分たちでできるようにしました。
でも名古屋大学は恵まれていたなと思うのは、分析装置はどこかの学科で持っている人たちがいました。だから、それを聞きつけてすぐにその人のところへ持っていって、測ってください、と言っていましたね。今の坂様のお話を聞いて思い出しました。

日本での起業

天野:社長になられたのはいつからですか?

坂:40歳からです。私は30歳で専門学校に入って、34歳で卒業して、その後その専門学校の教員になりました。研究は学生時代から続けていて、克服できない問題点を解決するためにノリタケ(※2)を訪ねて、皆さんが困っているから問題点を解決した製品を作ってほしい、と言いました。その頃ノリタケには歯科について知っている人は誰もいなかったので、学校を辞めて、40歳の4月1日から社長と社員一人の会社を作りました。最初の頃、私は自分の給料を取れるような状況ではなかったのですが、臨床家の皆さんは、審美歯冠製作で多くのトラブルに悩まされている時期だったので、講演依頼がすごくありました。

天野:では、講演料とかですか?

坂:講演料といってもわずかな金額ですが、私にはとても助けになりました。でも、デモンストレーションをしてくれる人や一緒に行って手伝ってくれる人に払うと、更に少ない金額になってしまいました。ですが、休みもなく働いていて、お金を使うところもなかったので何とかなりました。

天野:40歳からそういう生活ですか?よく耐えられましたね。

坂:全然大丈夫でした。

アメリカでの起業

天野:日本で起業されたのが40歳のときですね。アメリカでの起業は?

坂:アメリカのニューヨークは44歳のときです。44歳になったときに、給料が30万円、取れるようになりました。専門学校を卒業したとき、アメリカに働きに行くつもりだったのですが、教員になったので行けなくなってしまったことがあり、今度は、ニューヨークに自分で会社を作ってきます、と言って出掛けて行きました。

天野:でも日本で会社を作るのと違って、アメリカで会社を作るのは大変ですよね。

坂:大変でした!あんなに苦労するなんて思わなかったので二度とやりたくないです (笑)。

天野:全部ご自分でなさったのですか?

坂:もちろん。アメリカではシステムが全く違いますよね。弁護士がいないと全てのことが成り立たないです。私は、ニューヨーク、マンハッタンのエンパイアステイトビルから歩いて1分のところに会社を設立しました。

天野:英語はどうされましたか?

坂:英語はできないですよ。英語ができる人がいればいいので、英語ができる若手の子に来てもらい、オフィスを見つけてアパートも借りました。もうアメリカでは本当に大変でした。

天野:日本でも大変だったのですよね?

坂:比じゃないです。日本だったら困ったら誰かに聞きに行けますけど、アメリカでは頼る人も誰もいないじゃないですか?

天野:いや、それでも出来たのは、もうやることで頭がいっぱいという感じだったのですか?

坂:そうですね。
今はクラウドファンディングで資金調達が出来るし、インターネットで何でも調べられますよね。その時代は、簡単に調べられるものがありませんでした。今だったら、たぶんあんなに苦労しなかったと思います。

天野:皆さん、情報は簡単に手に入りますよね。だから競争という点では今も厳しいのかもしれません。自分がやるんだ!という本当に坂様みたいな強い気持ちを持っていないと。

坂:開発は世の中に無い物で、皆さんが欲しいと思う物を作らないといけないですよね。他社が作ったものを真似して作っても大したことにはなりません。真似して作れば開発は早いですが、後発ですから、すごく大規模な宣伝が必要になります。でもそんなお金はないじゃないですか。そうすると、やはり世の中に無い物を作らないといけないわけですよね。

天野:素晴らしい。本当にそう思います。日本が生き延びるとしたら、そこしかないと思います。2番手はたぶんダメなんですよね。

坂:私たちは一番マーケットが大きいアメリカから考えます。アメリカとヨーロッパ全体がイコールですが、ヨーロッパの方は保守的なので、アメリカへ持っていって、アメリカで売れたら世界で売れます。だからアメリカへ投入するのが一番早くて、先の見通しが分かり易いです。そのため私たちは最初からアメリカをターゲットにして開発をします。ただ競争が激化しているマーケットですから、大失敗を覚悟しておくことも必要です。

天野:それが違うのですね。

坂:日本のことは最初に考えません。そろそろ日本で売る?という感じです。だからそういう意味で、アメリカに会社を作っておいてよかったなと思います。今は情報網が山ほどあるじゃないですか。当時は情報を得ること自体が大変でした。アメリカの会社は自分の夢だけで作って、情報を得やすいとか深く考えてもいませんでしたが、結果的に逐次情報が入るようになり、今では無駄なことはないなと思っています。

天野:でもだいぶ苦労されましたよね。今だともうできないですか?

坂:この歳ではできないですね (笑)。
私、アメリカへ行って、会社も作って、いろいろ苦労したのですが、将来役に立つなんて考えてもいませんでした。結果的にアメリカでの活動は、人脈もできたしシステムもわかるようになったので、よかったなと今思います。

これまでで一番の苦労話は?

坂:人生で一番苦労したことは、やっぱりアメリカですね。知り合いがいなくて何もかも分からなくて、お金に困ったりもしました。その時に一番勉強になったのは、日本で自分がすごく苦労したと思っていたのですが、アメリカで究極に大変だったことを考えると、日本ではやっぱりそれだけの人に支えられて生きてきたのだな、ということが分かったことです。

天野:なるほど。感謝の気持ちですね。

坂:はい、感謝の気持ちです。だから、知り合いも誰もいなくて助けもないということはこういうことなのだというのが、アメリカへ行ってよく分かりました。

天野:その苦労を若い人にも勧めますか?

坂:勧めますよ。それがあって今こうやって、皆さんに寄附できるようなったのでよかったです。

天野:本当にありがとうございます。
学生や研究員が学会で発表するとすごく評判がよくて、ぜひポスドクで来てください、とか、アメリカのトップの大学からも言われるようになって、とても有り難いです。本当にご寄附いただいたお陰です。

坂:どんどん優秀な人を出していただければ。

天野:ありがとうございます。そんなご苦労の、貴重なご寄附を若い人はちゃんと心に留めておかないといけないですね。

アメリカと日本の寄附文化の違いは?

坂:寄附文化は違うなと思います。日本にもお金持ちの方は沢山いらっしゃいますよね。アメリカでは、お金を稼いだらそれを社会に還元する、という文化があって、皆さん、それを当たり前としてやっているように見えますが、日本にはなかなか根付かないのが残念だなと思います。お金に余裕がある人は、世の中に還元するように仕向けていかないといけないですよね。

私、アメリカでは、寄附に対する税金とかが日本と違うのかなと思って、アメリカで聞いてもらったことがあります。でも、やっぱり日本と似たようなものでした。ということは、意識付けの違いですよね。日本で、次の世代の助けになるように協力しよう、というように、寄附に対して少し啓蒙していかないといけない。私はそういうことが必要かなと思います。私はそういうつもりで今やっています。

天野:ありがとうございます。

名古屋大学の学生へのメッセージ

坂:今はインターネットもあって、いろんな情報が入りますよね。すごくいい時代なので、ぜひ大きな志を持って、開発、起業などに取り組んでもらいたいです。立派に成長して、その人を目標に若者がいっぱい後を付いてくるようになってもらいたいなと思います。

天野:ありがとうございます。
おっしゃるとおり、志はもちろんですが、今日の坂様のお話を伺って、やっぱり行動力というか突破力というか、それはぜひ参考にしていただきたいですね。

大学のカリキュラムで「起業する」ということも勉強できるようにはなってきていますが、優秀な学生さんが起業してもなかなか続かないのが現状です。本当にユニコーンになるというのは、今お聞きしたようなお話があってこそなんだというのを教えていただいたので、このお話をぜひ若い人たちに伝承していきたいなと思います。

坂:もうひとつ。お金のことは、他人任せにするのは絶対いけないです。もし起業したかったら、帳簿のつけ方や帳簿を見る目を勉強しておいた方がいいです。そうでないとお金のことで騙されたりするので、必須科目だと思います。会計報告が出たら、こうなっているなというのが、ぱっとわかるぐらいにしておかないとだめですね。

天野:簿記の勉強は必須ということですね。

今日は貴重なお話をどうもありがとうございました。

(※1)
歯科用語で、金が含まれていない非金属系の合金のこと。
(※2)
ノリタケ株式会社。愛知県名古屋市西区に本社を置く陶磁器・砥石メーカー。